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さく(14) あや(6)
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その日ギルベルトとルートヴィッヒは、強盗事件を起こし逃走、潜伏中の犯人の目撃情報をかき集める仕事に回っていた。
近隣の家宅からの聴取はすでに終え、有力な情報を得られないまま二人は並び立って通りの端に停めた車に戻る。春一番とはまだまだ遠縁の寒風が、むき出しの耳に容赦なしに斬りかかってくる。この辺りに並ぶどの家の扉や窓も来訪者を拒むように錠が落とされており、視覚的にも冷たかった。ギルベルトは実に不服そうに、ぐるぐる巻きにしたマフラーにうずめた唇を尖らせた。
「なんだよ、張り合いのねえヤマだな」
「気を抜いてはいけない。犯人がまた妙な気を起こすとも限らないのだからな」
「…ちぇっ」
子どもじみた悪態を付くギルベルトはルートヴィッヒが広げた手帳を横目で覗き込んで、燻る不満を別のところに逸らそうとしていた。細かな文字が几帳面に並ぶその捜査メモに書かれた単語を、いくつかピックアップして音にする。男、痩身、まだ若い、揉み合い、全治一ヶ月。
「あと、ニット帽に黒のダウン、ユーズド加工のジーンズ……か」
ルートヴィッヒはギルベルトが拾い上げた文字たちを一通り目で追ってから、今回の捜査で聞くことのできた唯一の情報を書き足す。――犯人らしき男の服装は具体的に覚えているのにその人相となると言葉が続かないとは、人間の記憶力というのはおかしなものだ。そう思いながら。ギルベルトが、歩きながら手帳に書き込むルートヴィッヒを見て「器用だな」と呟いた。
「結局それ以外の話は聞けなかったな。犯人、もう別のとこに逃げてんじゃねーの」
皆が働きに出た平日の昼間、人の気配の途絶えるこの通りでは目撃者の数は薄い。立ち並ぶのは死角の多い大きな家ばかりで、強盗が好みそうなスポットである、と上司が危惧した矢先の事件だった。
「いや、周辺道路に網を張っているからな。まだこの辺りに留まっているはずだ」
「お前マジメだなー…あとは張ってるやつらに任せりゃいーだろ?」
「そうはいかない」
ふむ、と低い声で頷いてそれきり、ルートヴィッヒは歩みを止めた。隣に在ったその姿が消えたことにギルベルトが気付いたのは、数歩を先に進めたそののちだ。肩越しに振り返ると、手帳を睨み付けたまま立ち尽くすルートヴィッヒがいる。ギルベルトはポケットに両手を突っ込み、肩をすくめて寒さに耐えながら不満の声を上げた。
「なにやってんだ? さっさと戻ろうぜ、凍えそう」
「ああ」
「付けっぱでいいっつったのにお前、エンジン切ったろ。温もるまで絶対時間かかるって」
「……妙だ」
はあ? と大きく開けたギルベルトの口から、白い呼気の塊が逃げていった。ルートヴィッヒは両足をその場に縫い付けたまま、小難しげな表情を崩さない。痺れを切らしたギルベルトが、体温を保とうと軽い足踏みを始めた。
「なにが?」
「この、目撃情報だ」
「こんなに具体的な情報に、変なとこなんてねえよ。早く報告したほうがいいんじゃねえか」
「具体的だからこそ、妙だ……あの証言者は家から一歩も出ず、通りを逃げ去る犯人を窓から見たと言っていた」
それのどこが妙なんだよ、と言いたいのだろうが、体温を逃さぬために唇をぴったりと合わせたまま、ギルベルトは無言で問う。ルートヴィッヒが上げた蒼の双眸と視線がぶつかった。
「分からないか。あの家の位置からでは、窓から見えるのは街路樹、通行人が見えたとしてもほんの一瞬だけのはずだ。だが、証言者は犯人の事細かな特徴まで挙げている。それはつまり――」
ルートヴィッヒの仮説が大詰めに差し掛かった時、それを遮る声があった。
「……ルートヴィッヒ!」
叫んだのはギルベルトだ。突然両肩を突かれて、身構えていなかったルートヴィッヒは足元をぐらつかせた。その上、背を丸めたギルベルトから渾身の体当たりを食らう。さすがに防ぎ切れるものではなく、何があったのだ、と慣性のままよろめきながらもルートヴィッヒは冷静な頭で同僚の奇行に思慮を巡らせた。人を突き飛ばし終えたギルベルトが変な体勢で固まっている。彼が立つ、元は自分がいた場所めがけて、何かを振りかぶった男の残像を見た。
「――……ッ!」
ぶあっしゃあ、と石畳の地を打つ派手な水音が乾いた空気を盛大に震わせる。ぎゃっ、という潰れた悲鳴が耳を掠めたのもほぼ同時だった。すぐさま体勢を持ち直したルートヴィッヒは、ギルベルトに降りかかったそれ――真鍮のバケツとその中身を投げた男に確保の手を伸ばす。反撃や逃走の隙を与えず、きつく腕を捻り上げる。次に悲鳴を上げたのは、突如この場に現れた男だった。ルートヴィッヒは戒める力を強めて、男を睨む。ギルベルトとルートヴィッヒを襲ったのは、
「……やはりお前か」
先ほど二人が犯人の手がかりを求めて周辺の家を回った中で、唯一の情報提供者だった人物だった。しかも、その男は警察の捜査を掻い潜って二軒目に押し入り、その被害者宅の住人になりすました犯人でもあった。
ルートヴィッヒが署への連絡を終え、犯人を別動隊に回収してもらった頃には。すっかり濡れ鼠になったギルベルトが、合わない歯の根をがちがち言わせていた。
「さみい」
思わず叫び声を上げたあの時、ただがむしゃらに動いたせいで、ギルベルト自身が真冬の水とジャストミートしてしまったのだった。ほとんど凍っているのではなかろうかというほどの冷水を浴びて、ギルベルトのコートはどす黒く重たくなっている。見るからに寒そうだ。ぽたぽたと、細い髪の束から絶え間なく水滴がしたたっている。
「……鼻水が出ているぞ」
見かねたルートヴィッヒはハンカチをギルベルトに投げつける。冷え固まった指で顔に張り付いたそれをつまみ上げたギルベルトが、いかにも嫌そうに眉を寄せて渋った。
「これ、お前が使ってたやつじゃん」
「ないよりましだろう。拭いておけ」
ちぇっ、と下手くそな舌打ちを一つ聞こえよがしに付いてから、ギルベルトはルートヴィッヒのハンカチで頭と顔からぐしゃぐしゃと水分を追い出した。細かな水の粒が飛び跳ねる。
「さみい。うーさみーさみー死ぬ…」
「帰りは俺が運転しよう。お前は服を乾かせることに集中するといい」
「ったりまえだろ。誰のせいでこうなったと思ってんだ」
「俺の油断と、お前の鈍さのせいだな」
「……………」
「ほら」
差し向けられた手のひらは、車のキーを寄越せというルートヴィッヒの合図だ。ギルベルトはふてくされたまま、コートのポケットに手を突っ込んだ。
「……あ?」
次に衣服に付随したあらゆるポケットをまさぐり、足元にさっと視線を這わせる。それでもお目当てのものを探り当てられず、ギルベルトは石畳の隙間に目を凝らしたりポケットの中を覗き込んだりなどしていたが、やがて。半開きの口から、
「鍵、ねえ」
呆けた言葉が、呆けた声で落とされた。ルートヴィッヒは一瞬、固まった。
「…………くっ、」
くそ寒い時分にバケツの水を被るわ、キーを落とすわ、なんて間抜けな男なんだ。そう思うと、ルートヴィッヒにはわき上がってくる波を堪えきれなかった。
「く……くく、は、はっ…ははは、ははっ」
肩と声とを揺らしながら、彼は主にギルベルトが大立ち回りを演じたさっきの逮捕劇を思い出していた。きっと、ルートヴィッヒを突き飛ばした時に排水口の格子の下にでも落としたのだろう。
いきなり声を上げて笑いだしたルートヴィッヒに対の血色を丸くしていたギルベルトは、ゆるゆると目を細めた。
「――なんだ、お前、笑えんじゃん」
にいっと歯を見せる。温もりを奪われた唇は蒼白で、せわしなく歯を鳴らしていたが、笑顔だけはやけに明るい。ルートヴィッヒは笑いをおさめて、ほんのわずかだけ彼自身に驚きを覚えていた。こんなことで声を上げた自分が信じられない。しかも、あんな、楽しげに笑って。
「かってえ喋りばっかだから、ロボットなんじゃねえかって思ってたんだぜ。…っひ、」
ぐしっ、無様なくしゃみが、波打っていたルートヴィッヒの思考を平常時のそれに引き戻す。
「あー……やべ」
ぜえ、と水気の多い息を吐いたギルベルトは本格的に熱を失い始めている。車のキーがないのなら再度応援を要請するほかないが、この場で待つのでは彼が風邪を引くほうが早いように思われた。どうしたものか――とりあえず、ルートヴィッヒは幾分か低い位置にある肩に、己のマフラーを掛けてやった。彼がこうなったのも、自分の手落ちだ。
「風邪を引く、貸してやろう。……バイルシュミット」
「お前、今日は優しーな」
ギルベルトがふにゃりと笑う。いつもなら奔放に跳ねている髪がおとなしいせいか、その笑顔は年齢より幼く見えた。景気よく水を吸った自分のマフラーを剥ぎ取り、素早くルートヴィッヒのそれを巻き直している。モスグリーンがギルベルトにはあまり似合っていなかった。ルートヴィッヒは迎えに来てもらうよう、携帯から署に連絡を入れる。ギルベルトが外したマフラーを絞ると、溢れた水がぼたぼたと石畳を濡らした。
「うわっすげえ。俺これ、署か犯人にクリーニング代もらってもよくね?」
「そうだな」
早く来ねえかな、もしこれで風邪引いたら有給で休んでやるのに。などとのたまいながらも柔らかなギルベルトの笑顔に、ルートヴィッヒの口元も緩まないでもなかった。
「そうだ。お前も責任感じてるんだったら、俺になんか奢れよ?」
「あまり調子に乗らないほうがいいぞ」
「誰が助けてやったおかげで、お前は無事なんだっけなー。あーん?」
「お前だったな」
「あーあったかいもん食いてえ」
「……では、昼食を奢ろう。ここからだと少し歩くが、アイントプフの旨い店を知っている」
近隣の家宅からの聴取はすでに終え、有力な情報を得られないまま二人は並び立って通りの端に停めた車に戻る。春一番とはまだまだ遠縁の寒風が、むき出しの耳に容赦なしに斬りかかってくる。この辺りに並ぶどの家の扉や窓も来訪者を拒むように錠が落とされており、視覚的にも冷たかった。ギルベルトは実に不服そうに、ぐるぐる巻きにしたマフラーにうずめた唇を尖らせた。
「なんだよ、張り合いのねえヤマだな」
「気を抜いてはいけない。犯人がまた妙な気を起こすとも限らないのだからな」
「…ちぇっ」
子どもじみた悪態を付くギルベルトはルートヴィッヒが広げた手帳を横目で覗き込んで、燻る不満を別のところに逸らそうとしていた。細かな文字が几帳面に並ぶその捜査メモに書かれた単語を、いくつかピックアップして音にする。男、痩身、まだ若い、揉み合い、全治一ヶ月。
「あと、ニット帽に黒のダウン、ユーズド加工のジーンズ……か」
ルートヴィッヒはギルベルトが拾い上げた文字たちを一通り目で追ってから、今回の捜査で聞くことのできた唯一の情報を書き足す。――犯人らしき男の服装は具体的に覚えているのにその人相となると言葉が続かないとは、人間の記憶力というのはおかしなものだ。そう思いながら。ギルベルトが、歩きながら手帳に書き込むルートヴィッヒを見て「器用だな」と呟いた。
「結局それ以外の話は聞けなかったな。犯人、もう別のとこに逃げてんじゃねーの」
皆が働きに出た平日の昼間、人の気配の途絶えるこの通りでは目撃者の数は薄い。立ち並ぶのは死角の多い大きな家ばかりで、強盗が好みそうなスポットである、と上司が危惧した矢先の事件だった。
「いや、周辺道路に網を張っているからな。まだこの辺りに留まっているはずだ」
「お前マジメだなー…あとは張ってるやつらに任せりゃいーだろ?」
「そうはいかない」
ふむ、と低い声で頷いてそれきり、ルートヴィッヒは歩みを止めた。隣に在ったその姿が消えたことにギルベルトが気付いたのは、数歩を先に進めたそののちだ。肩越しに振り返ると、手帳を睨み付けたまま立ち尽くすルートヴィッヒがいる。ギルベルトはポケットに両手を突っ込み、肩をすくめて寒さに耐えながら不満の声を上げた。
「なにやってんだ? さっさと戻ろうぜ、凍えそう」
「ああ」
「付けっぱでいいっつったのにお前、エンジン切ったろ。温もるまで絶対時間かかるって」
「……妙だ」
はあ? と大きく開けたギルベルトの口から、白い呼気の塊が逃げていった。ルートヴィッヒは両足をその場に縫い付けたまま、小難しげな表情を崩さない。痺れを切らしたギルベルトが、体温を保とうと軽い足踏みを始めた。
「なにが?」
「この、目撃情報だ」
「こんなに具体的な情報に、変なとこなんてねえよ。早く報告したほうがいいんじゃねえか」
「具体的だからこそ、妙だ……あの証言者は家から一歩も出ず、通りを逃げ去る犯人を窓から見たと言っていた」
それのどこが妙なんだよ、と言いたいのだろうが、体温を逃さぬために唇をぴったりと合わせたまま、ギルベルトは無言で問う。ルートヴィッヒが上げた蒼の双眸と視線がぶつかった。
「分からないか。あの家の位置からでは、窓から見えるのは街路樹、通行人が見えたとしてもほんの一瞬だけのはずだ。だが、証言者は犯人の事細かな特徴まで挙げている。それはつまり――」
ルートヴィッヒの仮説が大詰めに差し掛かった時、それを遮る声があった。
「……ルートヴィッヒ!」
叫んだのはギルベルトだ。突然両肩を突かれて、身構えていなかったルートヴィッヒは足元をぐらつかせた。その上、背を丸めたギルベルトから渾身の体当たりを食らう。さすがに防ぎ切れるものではなく、何があったのだ、と慣性のままよろめきながらもルートヴィッヒは冷静な頭で同僚の奇行に思慮を巡らせた。人を突き飛ばし終えたギルベルトが変な体勢で固まっている。彼が立つ、元は自分がいた場所めがけて、何かを振りかぶった男の残像を見た。
「――……ッ!」
ぶあっしゃあ、と石畳の地を打つ派手な水音が乾いた空気を盛大に震わせる。ぎゃっ、という潰れた悲鳴が耳を掠めたのもほぼ同時だった。すぐさま体勢を持ち直したルートヴィッヒは、ギルベルトに降りかかったそれ――真鍮のバケツとその中身を投げた男に確保の手を伸ばす。反撃や逃走の隙を与えず、きつく腕を捻り上げる。次に悲鳴を上げたのは、突如この場に現れた男だった。ルートヴィッヒは戒める力を強めて、男を睨む。ギルベルトとルートヴィッヒを襲ったのは、
「……やはりお前か」
先ほど二人が犯人の手がかりを求めて周辺の家を回った中で、唯一の情報提供者だった人物だった。しかも、その男は警察の捜査を掻い潜って二軒目に押し入り、その被害者宅の住人になりすました犯人でもあった。
ルートヴィッヒが署への連絡を終え、犯人を別動隊に回収してもらった頃には。すっかり濡れ鼠になったギルベルトが、合わない歯の根をがちがち言わせていた。
「さみい」
思わず叫び声を上げたあの時、ただがむしゃらに動いたせいで、ギルベルト自身が真冬の水とジャストミートしてしまったのだった。ほとんど凍っているのではなかろうかというほどの冷水を浴びて、ギルベルトのコートはどす黒く重たくなっている。見るからに寒そうだ。ぽたぽたと、細い髪の束から絶え間なく水滴がしたたっている。
「……鼻水が出ているぞ」
見かねたルートヴィッヒはハンカチをギルベルトに投げつける。冷え固まった指で顔に張り付いたそれをつまみ上げたギルベルトが、いかにも嫌そうに眉を寄せて渋った。
「これ、お前が使ってたやつじゃん」
「ないよりましだろう。拭いておけ」
ちぇっ、と下手くそな舌打ちを一つ聞こえよがしに付いてから、ギルベルトはルートヴィッヒのハンカチで頭と顔からぐしゃぐしゃと水分を追い出した。細かな水の粒が飛び跳ねる。
「さみい。うーさみーさみー死ぬ…」
「帰りは俺が運転しよう。お前は服を乾かせることに集中するといい」
「ったりまえだろ。誰のせいでこうなったと思ってんだ」
「俺の油断と、お前の鈍さのせいだな」
「……………」
「ほら」
差し向けられた手のひらは、車のキーを寄越せというルートヴィッヒの合図だ。ギルベルトはふてくされたまま、コートのポケットに手を突っ込んだ。
「……あ?」
次に衣服に付随したあらゆるポケットをまさぐり、足元にさっと視線を這わせる。それでもお目当てのものを探り当てられず、ギルベルトは石畳の隙間に目を凝らしたりポケットの中を覗き込んだりなどしていたが、やがて。半開きの口から、
「鍵、ねえ」
呆けた言葉が、呆けた声で落とされた。ルートヴィッヒは一瞬、固まった。
「…………くっ、」
くそ寒い時分にバケツの水を被るわ、キーを落とすわ、なんて間抜けな男なんだ。そう思うと、ルートヴィッヒにはわき上がってくる波を堪えきれなかった。
「く……くく、は、はっ…ははは、ははっ」
肩と声とを揺らしながら、彼は主にギルベルトが大立ち回りを演じたさっきの逮捕劇を思い出していた。きっと、ルートヴィッヒを突き飛ばした時に排水口の格子の下にでも落としたのだろう。
いきなり声を上げて笑いだしたルートヴィッヒに対の血色を丸くしていたギルベルトは、ゆるゆると目を細めた。
「――なんだ、お前、笑えんじゃん」
にいっと歯を見せる。温もりを奪われた唇は蒼白で、せわしなく歯を鳴らしていたが、笑顔だけはやけに明るい。ルートヴィッヒは笑いをおさめて、ほんのわずかだけ彼自身に驚きを覚えていた。こんなことで声を上げた自分が信じられない。しかも、あんな、楽しげに笑って。
「かってえ喋りばっかだから、ロボットなんじゃねえかって思ってたんだぜ。…っひ、」
ぐしっ、無様なくしゃみが、波打っていたルートヴィッヒの思考を平常時のそれに引き戻す。
「あー……やべ」
ぜえ、と水気の多い息を吐いたギルベルトは本格的に熱を失い始めている。車のキーがないのなら再度応援を要請するほかないが、この場で待つのでは彼が風邪を引くほうが早いように思われた。どうしたものか――とりあえず、ルートヴィッヒは幾分か低い位置にある肩に、己のマフラーを掛けてやった。彼がこうなったのも、自分の手落ちだ。
「風邪を引く、貸してやろう。……バイルシュミット」
「お前、今日は優しーな」
ギルベルトがふにゃりと笑う。いつもなら奔放に跳ねている髪がおとなしいせいか、その笑顔は年齢より幼く見えた。景気よく水を吸った自分のマフラーを剥ぎ取り、素早くルートヴィッヒのそれを巻き直している。モスグリーンがギルベルトにはあまり似合っていなかった。ルートヴィッヒは迎えに来てもらうよう、携帯から署に連絡を入れる。ギルベルトが外したマフラーを絞ると、溢れた水がぼたぼたと石畳を濡らした。
「うわっすげえ。俺これ、署か犯人にクリーニング代もらってもよくね?」
「そうだな」
早く来ねえかな、もしこれで風邪引いたら有給で休んでやるのに。などとのたまいながらも柔らかなギルベルトの笑顔に、ルートヴィッヒの口元も緩まないでもなかった。
「そうだ。お前も責任感じてるんだったら、俺になんか奢れよ?」
「あまり調子に乗らないほうがいいぞ」
「誰が助けてやったおかげで、お前は無事なんだっけなー。あーん?」
「お前だったな」
「あーあったかいもん食いてえ」
「……では、昼食を奢ろう。ここからだと少し歩くが、アイントプフの旨い店を知っている」
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