Emit
さく(14) あや(6)
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汝、嘘を愛せるか
カークランドが内通の嫌疑で拘留された男との面談を申請した日には、すでにその人物はあらゆる薬、機器によって体中、そして無意識の深淵をも調べ尽くされた後だった。
取調室とは名ばかりの鉄の檻に囲われたその男は、錆びたパイプ椅子に腰掛け、こうべを力なく両足の間に垂らしている。元々頑強でないその体は、寝ずの取 り調べで受けた疲労を色濃く残し、わずかな身動ぎも起こさない。カッターシャツは汗とも水とも取れぬ液体でまみれ、室内にただ一つの電球の下で、男の肌を 青くそして白く浮かび上がらせていた。光を失った白金髪は一房も靡かず、もしや死んでいるのでは、とカークランドに思わせる。だが、その痩けた背が、わず かに上下することで生存を証明してみせていた。
「バイルシュミット」
カークランドは鉄格子の向こうで項垂れるギルベルトに呼び掛けた。反応がない。
「眠っているのか。バイルシュミット」
もう一度名を紡げば、ゆるりと、意思の感じられない動きでぼさぼさの頭が持ち上がった。やがてまみえた両眼は、絶望を見た咎人の色をたたえていた。渇ききって掠れた声が落ちる。
「……なんだ、カークランドさん、ですか」
「……………」
「あのメガネだったらどうしようかと思いました、よ。知らねえ、っつってんのに」
ひび割れた唇には笑みが見て取れる。カークランドは牢の錠に手を掛けようとして、やめた。
疑わしき者はみな――。
そう命を下したカークランドに、それを強いた者を責める道理も、それを強いられた者に手を伸べる資格もない。ギルベルトの取り調べを担当したのはブラギ ンスキの懐刀だとかいう男だが、彼はただ、指示を忠実に遂行しただけなのだ。そして、非情になりきれぬ所のあるカークランドに業を煮やした同僚が寄越した 強行手段に、ギルベルトは巻き込まれてしまっただけなのだ。
ふう、と己を安定させるための息を吐き出して、カークランドはどこか焦点のずれたギルベルトの眼を見つめた。
「我々だってお前を疑いたくない。隠し事があるなら、」
「……ないっすよ、そんなの」
「お前の深層心理の一つに、疑わしき点があったそうだ」
「心理学のことは俺なんかによりフロイトに聞いてくださいよ」
何を問うてもギルベルトは知らぬの一点張りで、これでは取り調べを敢行した男も骨が折れたろう。充血せずとも赤い眼には、止まぬ叱責の嵐に辟易しながらも消えない、確かな意志が宿っていた。
「俺は、知らない」
こちらを射抜くほどの力はもう残っていないのか、真赤なその色のみがぎらぎらと光る。長時間拘束され、監視され続けている苛立ちからくるものだろう。そ れでも、ギルベルトの心の淵に食い込む「疑わしき点」をどうにかして晴らさなければ、解放はできない。小難しい表情を崩さないでカークランドは頷いた。
「そうだ。お前じゃない」
「じゃあ、」
「誰かを庇っているのではないのか」
「……なんでそんなこと」
自嘲を多く含んだ吐息と一緒に、ギルベルトが首を横に打った。カークランドの前に晒された頬は、たった一夜でこうなるものか、と疑いたくなるほどやつれ ている。己の命じたこととはいえ、罪悪感を覚えてしまうのは人として当然だ。そう思った瞬間には、その名をカークランドの唇はこぼしていた。
「……バイルシュミット、」
「なん、すか」
「いや…何でもない」
結局ギルベルトが白か黒かも判断できぬ間に、面会時間は終わった。取調室を後にしたカークランドの目は一番に、壁に背を預けて腕を組んだ、被疑者の元・ 相棒を認める。何かあった時――例えば、ギルベルトがこちらに襲い掛かってきたり、舌を噛もうとしたりアクションを起こした時――のため、そばで待機させ ておいたのだ。
カークランドは軽く首を横に振って、男の近くに寄った。
「駄目だ。手強いな」
「そうですか」
上司の帰還に姿勢を正した男は、低い声でそれだけ答える。感情を押し殺しているのではなく、ただその事実に納得して呟いた、という風の声音だった。
「おいルートヴィッヒ」
「はい、何か」
「バイルシュミットに水か何かを持って行ってやれ。あのままでは喉が潰れる」
肩を揉みほぐしながら、カークランドは歩を進める。またいくらか立てばギルベルトの取り調べは再開されるし、彼自身にも仕事が残っている。起立の状態で待つルートヴィッヒが動き出す気配はない。
「出来ません」
リノリウムの床にカツン、と神経質な靴音が響いた。訝しげに睨み据えると、無表情を張り付けた大柄な男と目が合った。「出来ない」と言ったのはこの男だ。普段は何を問うこともなく命令を受ける、機械みたいなイエスマンのくせに。
「…何故だ」
ルートヴィッヒは答えない。だが、被疑者として取り調べを受けるギルベルトとはもう、話すことなど何もないと思っているのだ、とカークランドは予想を付けた。職務に真摯なルートヴィッヒらしいといえばその通りだ。……しかし、たとえ元・相棒でも即座に切って捨てるとは。
「冷たい奴だな」
嫌味ったらしく言ってみたが鉄面皮は微動だにしない。カークランドは鼻で笑って、立ち尽くしたままのルートヴィッヒを追い抜いた。すれ違いざま、彼の匂 いにぶつかる。微かに混じるのは硝煙か煙草の残り香のように思われたが、前線を退いて久しいカークランドには、判別の出来ぬほどのわずかなものだった。
カツ、と己の足音にもうひとつが混じる。上司の命を律儀に守る男は最後まで護衛に付いて来てくれるらしい。だが、その前に。ギルベルトが囚われた牢に、ルートヴィッヒが醒めたバリトンと一瞥を投げたことをカークランドは知らない。
「……ああ、俺はとんでもなく冷たい人間ですよ」
カークランドが内通の嫌疑で拘留された男との面談を申請した日には、すでにその人物はあらゆる薬、機器によって体中、そして無意識の深淵をも調べ尽くされた後だった。
取調室とは名ばかりの鉄の檻に囲われたその男は、錆びたパイプ椅子に腰掛け、こうべを力なく両足の間に垂らしている。元々頑強でないその体は、寝ずの取 り調べで受けた疲労を色濃く残し、わずかな身動ぎも起こさない。カッターシャツは汗とも水とも取れぬ液体でまみれ、室内にただ一つの電球の下で、男の肌を 青くそして白く浮かび上がらせていた。光を失った白金髪は一房も靡かず、もしや死んでいるのでは、とカークランドに思わせる。だが、その痩けた背が、わず かに上下することで生存を証明してみせていた。
「バイルシュミット」
カークランドは鉄格子の向こうで項垂れるギルベルトに呼び掛けた。反応がない。
「眠っているのか。バイルシュミット」
もう一度名を紡げば、ゆるりと、意思の感じられない動きでぼさぼさの頭が持ち上がった。やがてまみえた両眼は、絶望を見た咎人の色をたたえていた。渇ききって掠れた声が落ちる。
「……なんだ、カークランドさん、ですか」
「……………」
「あのメガネだったらどうしようかと思いました、よ。知らねえ、っつってんのに」
ひび割れた唇には笑みが見て取れる。カークランドは牢の錠に手を掛けようとして、やめた。
疑わしき者はみな――。
そう命を下したカークランドに、それを強いた者を責める道理も、それを強いられた者に手を伸べる資格もない。ギルベルトの取り調べを担当したのはブラギ ンスキの懐刀だとかいう男だが、彼はただ、指示を忠実に遂行しただけなのだ。そして、非情になりきれぬ所のあるカークランドに業を煮やした同僚が寄越した 強行手段に、ギルベルトは巻き込まれてしまっただけなのだ。
ふう、と己を安定させるための息を吐き出して、カークランドはどこか焦点のずれたギルベルトの眼を見つめた。
「我々だってお前を疑いたくない。隠し事があるなら、」
「……ないっすよ、そんなの」
「お前の深層心理の一つに、疑わしき点があったそうだ」
「心理学のことは俺なんかによりフロイトに聞いてくださいよ」
何を問うてもギルベルトは知らぬの一点張りで、これでは取り調べを敢行した男も骨が折れたろう。充血せずとも赤い眼には、止まぬ叱責の嵐に辟易しながらも消えない、確かな意志が宿っていた。
「俺は、知らない」
こちらを射抜くほどの力はもう残っていないのか、真赤なその色のみがぎらぎらと光る。長時間拘束され、監視され続けている苛立ちからくるものだろう。そ れでも、ギルベルトの心の淵に食い込む「疑わしき点」をどうにかして晴らさなければ、解放はできない。小難しい表情を崩さないでカークランドは頷いた。
「そうだ。お前じゃない」
「じゃあ、」
「誰かを庇っているのではないのか」
「……なんでそんなこと」
自嘲を多く含んだ吐息と一緒に、ギルベルトが首を横に打った。カークランドの前に晒された頬は、たった一夜でこうなるものか、と疑いたくなるほどやつれ ている。己の命じたこととはいえ、罪悪感を覚えてしまうのは人として当然だ。そう思った瞬間には、その名をカークランドの唇はこぼしていた。
「……バイルシュミット、」
「なん、すか」
「いや…何でもない」
結局ギルベルトが白か黒かも判断できぬ間に、面会時間は終わった。取調室を後にしたカークランドの目は一番に、壁に背を預けて腕を組んだ、被疑者の元・ 相棒を認める。何かあった時――例えば、ギルベルトがこちらに襲い掛かってきたり、舌を噛もうとしたりアクションを起こした時――のため、そばで待機させ ておいたのだ。
カークランドは軽く首を横に振って、男の近くに寄った。
「駄目だ。手強いな」
「そうですか」
上司の帰還に姿勢を正した男は、低い声でそれだけ答える。感情を押し殺しているのではなく、ただその事実に納得して呟いた、という風の声音だった。
「おいルートヴィッヒ」
「はい、何か」
「バイルシュミットに水か何かを持って行ってやれ。あのままでは喉が潰れる」
肩を揉みほぐしながら、カークランドは歩を進める。またいくらか立てばギルベルトの取り調べは再開されるし、彼自身にも仕事が残っている。起立の状態で待つルートヴィッヒが動き出す気配はない。
「出来ません」
リノリウムの床にカツン、と神経質な靴音が響いた。訝しげに睨み据えると、無表情を張り付けた大柄な男と目が合った。「出来ない」と言ったのはこの男だ。普段は何を問うこともなく命令を受ける、機械みたいなイエスマンのくせに。
「…何故だ」
ルートヴィッヒは答えない。だが、被疑者として取り調べを受けるギルベルトとはもう、話すことなど何もないと思っているのだ、とカークランドは予想を付けた。職務に真摯なルートヴィッヒらしいといえばその通りだ。……しかし、たとえ元・相棒でも即座に切って捨てるとは。
「冷たい奴だな」
嫌味ったらしく言ってみたが鉄面皮は微動だにしない。カークランドは鼻で笑って、立ち尽くしたままのルートヴィッヒを追い抜いた。すれ違いざま、彼の匂 いにぶつかる。微かに混じるのは硝煙か煙草の残り香のように思われたが、前線を退いて久しいカークランドには、判別の出来ぬほどのわずかなものだった。
カツ、と己の足音にもうひとつが混じる。上司の命を律儀に守る男は最後まで護衛に付いて来てくれるらしい。だが、その前に。ギルベルトが囚われた牢に、ルートヴィッヒが醒めたバリトンと一瞥を投げたことをカークランドは知らない。
「……ああ、俺はとんでもなく冷たい人間ですよ」
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